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廣瀬喜一と卓袱台

工場風景

廣瀬喜一と卓袱台

廣瀬 喜一の卓袱台
小学館『世界のロングセラー』より

 
廣瀬喜一。昭和三年生まれ。

十三歳から職人見習いとして修行を始め、江戸の伝統を受け継ぐ和風民芸家具から桐ダンス、洋家具まで幅広く技術を体得した。

「教科書を暗記するいまどきの勉強とは違って、全部、体で覚える。指先が眼になったから目をつぶっていてもできるよ」

昔かたぎの職人は、事も無げにそう言って笑う。


親方の許しを得て独立、宮城木工所を創業したのは昭和26年。以来、若い職人一人を助手に、桐箪笥(たんす)や欅(けやき)の飾り戸棚、そして今や廣瀬喜一の代名詞である卓袱台(ちゃぶだい)を作り続けてきた。今では廣瀬さんでないと、と名指しで注文してくるファンも少なくないとか。

「要するに好きなんですねぇ、木に囲まれて仕事するのが。鉋で削って初めて木目の美しさが出るから、削ってみて思い通りの綺麗な木目が出てきたら、嬉しくて作業がはかどるよ」




卓袱台にはもっぱら栓(せん)の木を使う。栓は年輪が鮮やかで板目の美しさは欅(けやき)にまさる。しかも欅ほど値段が高くない。天板は一枚板ではなく4枚を張り合わせ『幅はぎ天板』にする。このほうが十数年たっても狂いが出ない。

「木目を見て木の癖を頭に入れ、あばれるだけあばれさせてから接ぐんです。木は切った後も生きてるから、その力を上手に利用して造れば丈夫で狂いの少ない、良い家具が出来るんですね。材料の見極めでほとんど仕事が決まっちゃう所があるねぇ」



はぎ合わせ部分は雇い実やといざね接ぎになっている。木理をいかに自然に揃えるかがポイントになる。

接合を終え、乾燥させると接続面に凹凸ができる。それを大小の鉋(かんな)を使い分け平らになるまで削る。天板が仕上がったら折りたたみが出来る脚、脚を収納する幕板(まくいた)、脚を固定する二枚の跳板(はねいた)を取り付けていく。


卓袱台の要、脚の折りたたみは職人自ら何度も微調整を繰り返す。

「鉋屑一枚の厚みで、ぜんぜん使い心地が変わってくるから。まあ、日々勉強ですよ」

伝統と技術におぼれない、真の職人魂がその絶え間ざる向上心に垣間見えた。

卓袱台とは
四つ脚の付いた、主に食事用の座卓のこと。唐音では(しっぽく)と発音し、江戸時代は(しゅっぽく)と読んだ。中国語で卓はテーブル、袱はテーブルクロスの意。他に地方によって茶袱台、茶部台、食机、餉台などども表記される。

語源は諸説あり定まっていない。有力なものとしては中国語でテーブル掛けを意味する卓袱(中国音ではcho-fu)から来たとするもの、同じくご飯を食べることを意味する吃飯(chi-fan 南中国音ではチャフン、ジャブン)から来たとするもの、また明治開化時代、横浜・神戸などの港場で船員相手の手軽な小料理屋を「ちゃぶ屋」と称し、この「卓袱」から卓袱台と名になったとする説などがある。

一般に普及するようになったのは明治以降から。この後昭和初期までに全国的な普及を見せる。1923年(大正12年)の関東大震災を契機として膳から卓袱台へと移行した家庭が多かったという。

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